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2月、道真さん月。


上渡ってきました。


ダイヤ穏やかに晴れる日を待って、西へダイヤ

道真さんと仲哀天皇さんに会う、日帰り旅です。

7時過ぎに家を出て、9時過ぎに防府天満宮に到着。

近いですね!

真っ青な眩しい冬の空の下、所々紅白の梅が咲き始めていました。




上「美しや紅の色なる梅の花 何呼が顔にもつけたくぞある」幼名・阿呼(あこ)。僅か5歳の道真さんが詠まれた歌です。



上駐車場隣の広い梅園。これから素晴らしい季節を迎えますね。


防府天満宮は何十年かぶりの参拝。

子供の頃、町内会の旅行で来たなぁ。。。

境内のあちこちで、思い出の回収もしてきました。



上清々しい境内。



上天神さんのシンボルは梅と伏牛。
道真の亡骸を牛車で運ぶ途中、牛が伏せて動かくなり、人々は道真のメッセージと捉え、その場所(太宰府天満宮建立の地)に道真を祀ったという伝説から。






上至る所に、施される梅。
よく見ると梅の下に鳩がいます。
境内に群れる鳩も大切にされています。



さて、全国およそ1万2千社に祀られる道真公。

ご存知のように、防府天満宮は、京都の北野天満宮・福岡の太宰府天満宮と並び、日本三大天神のひとつです。

参拝の前に、この謂れをおさえておきますと。。。

道真さんは、無実の罪で大宰府へと西下される際、周防国・国司の土師氏(はじうじ)を頼り、防府の勝間の浦に寄港されます。

「この地を離れるといよいよ九州だが、京の都と地続きの、この土地に留まりたい。」と無念を残し、大宰府へと向かわれたと言います。

そして大宰府の地でこの世を去った、丁度その日。

勝間の浦に神光と瑞雲(ずいうん・めでたいことが起きる前兆とされる五色の雲)が現われ。

人々は、道真公の魂がこの地に戻ってきたと悟り、社を建立したと伝わります。

道真さんの生まれ故郷にある北野天満宮は、道真さん没後、44年後創建。

終の棲家となった大宰府の太宰府天満宮は、没後16年後に創建。

そして防府天満宮の建立は、道真さんが薨御された翌年です。

よって、防府天満宮は“日本最初の天神さん”と呼ばれています。



道真さんは寒さ厳しい2月1日に、京の都を離れ。

船で淀川を下り、渡辺津(わたなべのつ・現在の大阪市中心部)で海船に乗りかえたとされますが。

その後も下船を繰り返し、各地で足跡を残しています。

今なら、本州と九州は繋がっているくらいの感覚ですが。

この時代、海を渡る九州は本当に遠かったのでしょう。

大宰府へ行きたくない気持ちが、汲み取れるような気がします。


左遷から2年後、2月25日に58歳(59歳とも残される)の若さで薨去。

病死説もありますが、死因ははっきりしていないそうです。

生活難に耐えかねた窮死だったのかもと想像しながら、道真さんを初めて一人の人間として思いを馳せ手を合わせました。

道真公のその怒りと遺憾は、神楽の中で語り継がれていきます。




上春風楼(しゅんぷうろう)。
江戸時代、五重塔の建築に取り掛かるも財政難により中断。
その後2層の楼閣として完成。現在は防府の町を見渡せる展望台となっています。




上眺めよく、気持ち良い。。けど寒いっ



上鯛みくじ。鮮やかな赤鯛が釣れましたにこっ



上参拝の結びは御朱印。次はいつ来られるかな。


可愛いあの子たちに会いに行くぞ~
| 斉藤裕子 | comments (x) | trackback (x) | その他 |

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