渡ってきました。
穏やかに晴れる日を待って、西へ
道真さんと仲哀天皇さんに会う、日帰り旅です。
7時過ぎに家を出て、9時過ぎに防府天満宮に到着。
近いですね!
真っ青な眩しい冬の空の下、所々紅白の梅が咲き始めていました。
「美しや紅の色なる梅の花 何呼が顔にもつけたくぞある」幼名・阿呼(あこ)。僅か5歳の道真さんが詠まれた歌です。
駐車場隣の広い梅園。これから素晴らしい季節を迎えますね。
防府天満宮は何十年かぶりの参拝。
子供の頃、町内会の旅行で来たなぁ。。。
境内のあちこちで、思い出の回収もしてきました。
清々しい境内。
天神さんのシンボルは梅と伏牛。
道真の亡骸を牛車で運ぶ途中、牛が伏せて動かくなり、人々は道真のメッセージと捉え、その場所(太宰府天満宮建立の地)に道真を祀ったという伝説から。
至る所に、施される梅。
よく見ると梅の下に鳩がいます。
境内に群れる鳩も大切にされています。
さて、全国およそ1万2千社に祀られる道真公。
ご存知のように、防府天満宮は、京都の北野天満宮・福岡の太宰府天満宮と並び、日本三大天神のひとつです。
参拝の前に、この謂れをおさえておきますと。。。
道真さんは、無実の罪で大宰府へと西下される際、周防国・国司の土師氏(はじうじ)を頼り、防府の勝間の浦に寄港されます。
「この地を離れるといよいよ九州だが、京の都と地続きの、この土地に留まりたい。」と無念を残し、大宰府へと向かわれたと言います。
そして大宰府の地でこの世を去った、丁度その日。
勝間の浦に神光と瑞雲(ずいうん・めでたいことが起きる前兆とされる五色の雲)が現われ。
人々は、道真公の魂がこの地に戻ってきたと悟り、社を建立したと伝わります。
道真さんの生まれ故郷にある北野天満宮は、道真さん没後、44年後創建。
終の棲家となった大宰府の太宰府天満宮は、没後16年後に創建。
そして防府天満宮の建立は、道真さんが薨御された翌年です。
よって、防府天満宮は“日本最初の天神さん”と呼ばれています。
道真さんは寒さ厳しい2月1日に、京の都を離れ。
船で淀川を下り、渡辺津(わたなべのつ・現在の大阪市中心部)で海船に乗りかえたとされますが。
その後も下船を繰り返し、各地で足跡を残しています。
今なら、本州と九州は繋がっているくらいの感覚ですが。
この時代、海を渡る九州は本当に遠かったのでしょう。
大宰府へ行きたくない気持ちが、汲み取れるような気がします。
左遷から2年後、2月25日に58歳(59歳とも残される)の若さで薨去。
病死説もありますが、死因ははっきりしていないそうです。
生活難に耐えかねた窮死だったのかもと想像しながら、道真さんを初めて一人の人間として思いを馳せ手を合わせました。
道真公のその怒りと遺憾は、神楽の中で語り継がれていきます。
春風楼(しゅんぷうろう)。
江戸時代、五重塔の建築に取り掛かるも財政難により中断。
その後2層の楼閣として完成。現在は防府の町を見渡せる展望台となっています。
眺めよく、気持ち良い。。けど寒いっ
鯛みくじ。鮮やかな赤鯛が釣れました
参拝の結びは御朱印。次はいつ来られるかな。
可愛いあの子たちに会いに行くぞ~
2024,01,27 Sat 21:39