



あのお宮の神楽の振動と匂いと。
はーっ 良かった・・・こちらは又改めて。


今日は娘のレッスン撮影でした。
撮影の時間はあっという間ですが。
準備の時間は数日前から、長くて地味な作業です。
でもここで、力を付けて!進んで行きたいものです。




『ウププ』



買い物中に『あっちでアイス見てくるねー

慣れないヒールブーツで、沢山の人の前で滑りこけたそうで。
『恥ずかし~い!口から火が出たよ!!』って。
ほほぉ~そんな技術を身に付けていたとは

・・・でも、その場合“顔”です。
もしくは激辛料理かな。
ちなみに頭を打った時は“目”だねー。
この会話を聞いていた周りの人に、再び笑われる13歳の秋。(●´ω`●)
2012,09,30 Sun 23:09




今年も満月と重なる絶好の機会で。
美味しい丸いお供え物、何にしようかな~

台風の影響が心配です

せめて今のうちにお月様を撮っておこう、とベランダに出たら。
月光環を見ることができました!
満月のような明るい月に薄雲がかかり、周りに虹色(白色)の環ができる現象です。
雲の水滴などが、プリズムの役割を果たしてこんな神秘の演出をするんですね~。
あわてて撮ってみましたが・・・
やっぱり、私の実力では無理だねっ
Oo。。( ̄¬ ̄*) へへッ




餅をつく兎の姿に、五穀豊穣を願い、感謝を重ねます。
これまた神楽です。
中国では、月に住む兎は、不老不死の薬を調合して、杵で粉末化していると伝えられるそうです。
・・・なんだか、薬局っぽいですね~。


中国では、月に住む兎はみんな男の子なんだってー。
うちのミミも一応男の子です。
2012,09,29 Sat 00:07


奥様の手書きです。酔っては、どこかへ脱いで帰ってくるので、無くさないように、という配慮です。


~八重西神楽団 紅葉狩~
米作りの国・日本の風景は、1年に4度衣替えをします。
寒い冬を越して花見を楽しみ、厳しい夏を過ぎて紅葉狩を楽しむ。
日本人の心に生まれた物語です。


「大事に使えよ・・でも沢山お呼びがかかって、仕方なく傷むのも嬉しい話じゃが。」という先輩方のお話がとても素敵でした。


他には滝夜叉や胡蝶など、端正な顔立ちに美しい鬼女が似合いますね。




八重西神楽団の紅葉狩、鬼女5人バージョンは運が良ければ見られます

まだ2回しか上演していないそうです。
今年の奉納はどうかな~

2012,09,27 Thu 22:20




―神楽―
氏神神社の境内(神楽殿)で、豊かな実りを神々に感謝する農耕儀礼。
「集いたまえや四方の神々」と歌い、天地のありとあらゆる神様をお招きします。(月いち原稿から抜粋)
~岩戸 石見神楽亀山社中~
生き物とエネルギーを司る神々の物語が、天地・神と人の営みの初めを語り、神楽の初めを伝えます。


こちらの宇津女ちゃん、ふとした仕草が愛らしくキュート。


面を外す場面からは鼻血ものです

~塵倫 筏津神楽団~
米作りを糧とする日本の物語としては、不作を招く悪天候や、黄砂、害虫、自然災害など、人の手に負えない相手を鬼と例えたと想像します。


この小鬼の解釈は様々と思いますが、塵輪の恐ろしさを一層引き立てるものと思います。


前河さんと分かっていますが・・・でもやっぱり鬼は大人になっても怖いですね。。
~矢旗 三谷神楽団~
塵倫、皇后、矢旗と流れる物語。
大陸文化の玄関口、大分県の宇佐の国にあって、土着の文化や暮らしを共存させる役割を担うのが第15代、応神天皇(誉田別命)です。






※違ってたらご指摘ください。
写真が多いから、続く!
2012,09,26 Wed 21:22


お天気が続くと良いですね。
週末は特にね。神楽を見に行きたいから~

では、大変ながらも収穫の喜びを実感する季節です。
8月・月一の舞「米づくりが育てた日本の民族芸能」をご紹介します!
「日本全国には数々の川が流れ、それぞれの流れの中に各地の気候・風土に従って文化や産業が生まれています。
北広島町を流れる江の川は、島根県の江津市に向かって流れ、江の川は昔より“中国太郎”と呼ばれ、数々の郷土芸能を生み育てていることで全国的に知られています。
季節ごとの節目に、農作業に関わる神事が、そのまま郷土芸能となりました。又、その拠点となったのが氏神神社です。(石井誠二さん、筆)」
―春―
壬生の花田植え 壬生の花田植保存会
「サンバイ(花田植の総指揮者)は宮の方からよ~」と歌い、実り豊かな秋を祈り、田植祭りが行われます。田植えは、氏神様を田の神様と拝みながら進みます。




12月には、松江で佐蛇神能の皆さんと舞台を共にします。
―夏-
花笠踊り 本地花笠踊り保存会
まずは氏神神社の境内をひと踊りして。
あぜ道などを道行しながらの虫送りとして知られますが、秋の豊作を願って「豊年踊り」とも呼ばれます。
☆由来・・・吉川元春が南条元続(鳥取)の城を攻め落とす際、南条を欺くため、踊り子に扮した吉川兵を場内に送り込み、功を奏したのが始まり。


繊細な作業で、もうこの技術者は、北広島町にはお一人しかいらっしゃらないそうです。


半円を描くキレのある動きでは、笠の重みがかかり、首が折れそう!とのことでした。


武将姿の本地中組神楽団長・山田学さんは、囃子の担当です。
地域の芸能・行事に貢献しまくりですね

次は秋!神楽の季節だよっ
2012,09,25 Tue 14:53
