明日は、東北大震災から6年。
朝から関連ニュースで様々な話題が届けられますが。
町の復興は少しずつ進んでも、歳月に乗り越えられるものは限られます。
心から穏やかに過ごせる毎日が、ひとりひとりに訪れて欲しい。。。
今朝の中国新聞の別版【Cue】に。
竹原市出身で、私の恩人でもある坂上満さんが紹介されています。
坂上さんは広島からの転勤で仙台に移り、被災されました。
被災数日間、坂上さんと連絡が取れなかった恐怖と、安否が確認された時の嬉しさは絶対に忘れることはありません。
ご家族は皆さんご無事で、その日から、およそ40か所の仮設住宅の支援を使命として続けてこられました。
当初は物資の配給などで東奔西走しておられましたが、6年の環境の変化に役割も変わり。
近年では、復興公営住宅のコミュニティ作りとして。
ダーツ教室や音楽会などを開き、今年の2月時点でおよそ800回にものぼります。
読みにくくてすみませんです。
坂上さんは写真より男前です。(こう言うと喜ばれます)
昔からユーモアのかたまりのような坂上さんの、胸にあるのはこの思いです。
震災後、間もなくして「津波で全部流されてしまい、写真の1枚も残っていないんだよ」と言われた一言が耳に残っていて、「ダーツ教室」を開催するたびに「新たな楽しい思い出を残して頂きたい」との思いで、全員の写真を焼いて差し上げています。
※坂上さんのブログ「みちのく」発から。
http://yaplog.jp/mitinokunosiki/2
「みちのく」発ブログ
坂上さんのブログを開くと、被災地の今の日常や笑顔の写真が沢山紹介されていますが。
2011年3月を開けば、あの時の様子がそのまま残ります。
東北の歩みを他人事にしないように、私も毎年この日に、我が家の非常用バッグの確認をしていますよ
朝から関連ニュースで様々な話題が届けられますが。
町の復興は少しずつ進んでも、歳月に乗り越えられるものは限られます。
心から穏やかに過ごせる毎日が、ひとりひとりに訪れて欲しい。。。
今朝の中国新聞の別版【Cue】に。
竹原市出身で、私の恩人でもある坂上満さんが紹介されています。
坂上さんは広島からの転勤で仙台に移り、被災されました。
被災数日間、坂上さんと連絡が取れなかった恐怖と、安否が確認された時の嬉しさは絶対に忘れることはありません。
ご家族は皆さんご無事で、その日から、およそ40か所の仮設住宅の支援を使命として続けてこられました。
当初は物資の配給などで東奔西走しておられましたが、6年の環境の変化に役割も変わり。
近年では、復興公営住宅のコミュニティ作りとして。
ダーツ教室や音楽会などを開き、今年の2月時点でおよそ800回にものぼります。
読みにくくてすみませんです。
坂上さんは写真より男前です。(こう言うと喜ばれます)
昔からユーモアのかたまりのような坂上さんの、胸にあるのはこの思いです。
震災後、間もなくして「津波で全部流されてしまい、写真の1枚も残っていないんだよ」と言われた一言が耳に残っていて、「ダーツ教室」を開催するたびに「新たな楽しい思い出を残して頂きたい」との思いで、全員の写真を焼いて差し上げています。
※坂上さんのブログ「みちのく」発から。
http://yaplog.jp/mitinokunosiki/2
「みちのく」発ブログ
坂上さんのブログを開くと、被災地の今の日常や笑顔の写真が沢山紹介されていますが。
2011年3月を開けば、あの時の様子がそのまま残ります。
東北の歩みを他人事にしないように、私も毎年この日に、我が家の非常用バッグの確認をしていますよ
2017,03,10 Fri 23:56