元祖歌えるアナウンサー・田中俊雄さん
広島・演歌界の司会で、この方の右に出る者はいない、と云われます。
司会者としての私は、田中さんで始まっています。
むかーしむかし。
私が会社を辞めて、フリーとして走りたいと言い出した頃に。
周りで、田中さんだけが猛反対でしたが。
言うこと聞かない私が退職した後は。
何かにつけて、引っ張り出してもらい、20年弱。
一生頭の上がらない、私のお師匠さんです。
「うつくしい十代」熱唱中。
昭和56年「大竹ひとり」でレコードデビュー。
ザ・ベストテンのリポーターとしても広く知られています。
司会のことで叱られたことは、あまり記憶にありませんが
一度だけ、私がお世話になった方に、不義理な態度をとってしまった時。
静かに、怒りを爆発されたことがあり、ホント怖かった。。。
技術より、人間力で仕事をしろ、ということだったんですよね・・・
・゜゜・(>_<)・゜゜・。
私が、免許もないのにラジオカーのオーディションにパスした時には。
1か月で免許を取らないと、合格取り消しかもよ、という条件に田中さんの方が焦って。
マイカーで、運転の練習に付き合ってくださったこともありました。
口には出さないけど、車内では『今日、死ぬかも』という空気が流れていました
日本列島演歌の旅・旅先案内人は、俳優・高尾六平さん。
出会った当初は「雲の上」過ぎて、緊張でお話もできませんでした。
最近では『おい、おばさんここに座れっ』と、ありがたーい言葉を頂いています。
各神楽大会でも、演目によっては、六平さんのナレーションが流れますよね~。
そんなこんなで、現在では
お酒が伴う会で、田中さんのアシスタントを務める時に。
師匠・田中さんが酔うと、私が総合司会に昇格する!という、暗黙の了解が得られていています。
先週の「流行歌を懐かしむ会(作詞家・石本美由紀先生、星野哲郎先生の作品を歌い継ぐ会)」では。
お客さんとの懇親に、面白~い感じに仕上がった田中さん。
「あいつがいるから、後は何とかなるだろう」と。
少しでも思ってもらえたら、弟子冥利に尽きますね・・・。
一緒にステージに立たせてもらう度に、自分の未熟さに落ち込みますが。
。。。それが、師匠を持てる幸せなのかもしれません。
もし南一誠さんの歌を聞かなかったら、演歌を一生、素通りしてたかも!
というくらい、一誠さんの歌声が好きです。
イヨマンテの夜。血がっ騒ぎますっ。
広島・演歌界の司会で、この方の右に出る者はいない、と云われます。
司会者としての私は、田中さんで始まっています。
むかーしむかし。
私が会社を辞めて、フリーとして走りたいと言い出した頃に。
周りで、田中さんだけが猛反対でしたが。
言うこと聞かない私が退職した後は。
何かにつけて、引っ張り出してもらい、20年弱。
一生頭の上がらない、私のお師匠さんです。
「うつくしい十代」熱唱中。
昭和56年「大竹ひとり」でレコードデビュー。
ザ・ベストテンのリポーターとしても広く知られています。
司会のことで叱られたことは、あまり記憶にありませんが
一度だけ、私がお世話になった方に、不義理な態度をとってしまった時。
静かに、怒りを爆発されたことがあり、ホント怖かった。。。
技術より、人間力で仕事をしろ、ということだったんですよね・・・
・゜゜・(>_<)・゜゜・。
私が、免許もないのにラジオカーのオーディションにパスした時には。
1か月で免許を取らないと、合格取り消しかもよ、という条件に田中さんの方が焦って。
マイカーで、運転の練習に付き合ってくださったこともありました。
口には出さないけど、車内では『今日、死ぬかも』という空気が流れていました
日本列島演歌の旅・旅先案内人は、俳優・高尾六平さん。
出会った当初は「雲の上」過ぎて、緊張でお話もできませんでした。
最近では『おい、おばさんここに座れっ』と、ありがたーい言葉を頂いています。
各神楽大会でも、演目によっては、六平さんのナレーションが流れますよね~。
そんなこんなで、現在では
お酒が伴う会で、田中さんのアシスタントを務める時に。
師匠・田中さんが酔うと、私が総合司会に昇格する!という、暗黙の了解が得られていています。
先週の「流行歌を懐かしむ会(作詞家・石本美由紀先生、星野哲郎先生の作品を歌い継ぐ会)」では。
お客さんとの懇親に、面白~い感じに仕上がった田中さん。
「あいつがいるから、後は何とかなるだろう」と。
少しでも思ってもらえたら、弟子冥利に尽きますね・・・。
一緒にステージに立たせてもらう度に、自分の未熟さに落ち込みますが。
。。。それが、師匠を持てる幸せなのかもしれません。
もし南一誠さんの歌を聞かなかったら、演歌を一生、素通りしてたかも!
というくらい、一誠さんの歌声が好きです。
イヨマンテの夜。血がっ騒ぎますっ。
2013,05,14 Tue 22:56