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ひとそれぞれに。
能登半島地震から1か月が過ぎ。

僅かな復興への動きもありますが。

まだ被害状況の全てが把握できないもどかしさは苦しいですね。


これから街並みと暮らしは、少しずつ改善していくのでしょうが。

心に失ったもの、亡くなった方への想いをどう抱えながら生きていかれるのか。。。

時間は止まったままかもしれません。

改めて、この度の大地震で亡くなった方のご冥福と、被災地の方々へ心からお見舞いを申し上げます。




上日本海を眺める浜田のミサゴ。魚を狩ります。海の恩恵と、脅威を思います。


私の知る範囲でお話しをすれば。

阪神淡路大震災から、東北大震災、又、その後も立て続けに地震や身近に豪雨が続き。

災害が起こった時、何が出来るかその都度考えてきました。

今回の能登半島地震は寄付!現段階で自分にできるベストは寄付だと考えています。

又今後、能登半島地震へのチャリティなど開催され、進行などで必要であればお手伝いを致しますのでお声がけくださいね。

それにしても最近は、寄付の方法についても選択肢が大幅に増えました。

特にスマホですぐに実行できることは、素晴らしいです。



上冬鳥、ベニマシコ。今年は能登に早めの春が来てあたたかくなりますように。


2011年の東北大震災の際に、印象的だった出来事があります。

あの時は、寄付と同時に、とにかく「救援物資」の呼びかけが大きかったと記憶しています。

しかし、東北は遠く、送りたいものはあってもどう送ったらいいか分かりませんでした。

そんな中、広島市内の運送会社が大型トラックで新潟へ物資を運ぶという情報を得て。

友人と3名で、おむつと粉ミルク、おしりふきなどを段ボールに詰められるだけ詰めて荷造りしました。

しかし。

トラックの出発予定時刻まで、十分に余裕ある時間に持ち込んだものの。

運送会社に着くと、トラックが駐車場から出ていく瞬間でした。

物資を持ち込まれる方が予想以上に多く、荷台がいっぱいになったので予定より早く出発したと関係者の方がお話されました。

私はがっくりして、呆然とトラックを見送っていたのですが。

なんと。

暫くして、トラックが戻ってきて。

ドライバーの方が窓を開けて『何持ってきたん?』と声をかけられました。

おむつと粉ミルクです、とお答えすると。

『そりゃあ、積まんといけんじゃろ!』と言われ。

助手席の方も降りてきてトラックの荷台を開け、中の荷物をパズルみたいに整理し直して積んでくれました。

新潟への長旅の前に、たった一つの荷物のために時間を費やしてくださった気持ちが本当に有難かったです。

寄付はただのお金ではなく、物はただの物じゃなく。

被災地の方々が一日でも早く元気になれ!の気持ちの塊です。

救援物資を届けてくださる方もいらっしゃらないと届かない。。。

日本に暮らせば、地震は他人事ではないし。

これからも、豪雨の脅威は常に隣にあります。

私たちは災害を通して強くなり、学び続ける必要がありますね。

| 斉藤裕子 | comments (x) | trackback (x) | その他 |

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