久しぶりに浜田へ帰省
祖母の様子を見に行ってきました。
今年の7月の誕生日で100歳を迎えることをとても楽しみにしている祖母。
昨年の秋以来の帰省だったので、喜んでくれて。
それはそれはもう!マシンガントークでした。
「へー」「フーン」「そうだったんだ~」って、1000回くらい相槌打ってきました
人に話を聞いてもらうと、元気が出るのでしょうね。
あちこち痛いわって言いながら、これなら十分大丈夫そう。
今、実家の周りは日本水仙でいっぱいです。
潮風を好む日本水仙。
父が、両手に抱えるほどの水仙をお土産に持たせてくれたので。
家中の花瓶を引っ張り出して、全ての部屋に置きました。
暫くは、大好きな水仙の香りに包まれて、過ごせそうです。
一番好きな香り。蝋梅とほぼ同じ香りだと思うのですが。。。
そりでは
先日の、駆け足日帰り旅。
結びは仲哀天皇、神功皇后が祀られる、福岡市の香椎宮(かしいぐう)です。
写真を使って、長めにご紹介するので、お時間のある時にご覧ください
香椎宮は、海の中道マリンワールドから車で10分と少しでした。
これから香椎宮に行かれる予定のある方は、事前に社務所の開いている時間などをぜひ調べてから行ってください。
季節や曜日によって、細かく異なるようです。
今回到着したのは、午後4時。
武内宿禰さんの300歳余りの長寿を保ったと伝わる「不老水」は、3時には閉じられていました。
この不老水を飲めたら、あと250年は生きられたかもしれないのになぁ。。。
又、春には桜やつつじ、初夏には花菖蒲の名所にもなるそうです。
菖蒲池のマガモ。
香椎宮の見所は、境内の中だけではありません。
クスノキ並木の参道は、800メートルに及ぶ楠のトンネルです。
沿道のお洒落なパンやさん、カフェや雑貨やさんが馴染んでいます。
日が落ちて街灯に灯がともると、ノスタルジックな独特な雰囲気です。
このクスノキは大正時代に植えられ、再来年・2026年で100年になるそうです。
まるで森林浴しているような気分。
香椎宮の起源は。
西暦200年、熊襲征伐のため(または、国内外への外交発展のため)橿日宮(カシイノミヤ)を造営し、滞在していた仲哀天皇が崩御されました。
この時、神功皇后が、仲哀天皇の神霊を祀るために、この地に祠を建てたのが始まりと言います。
神楽でも舞われる通り。
その後神功皇后は仲哀天応の遺志を継ぎ、身重でありながら国内平定・三韓来航など数々の功績を残されました。
それから500年余りが経ち、神功皇后を祀る宮も、香椎の地に築かれました。
今ではご夫婦共に祀られていることや、三韓征伐後に無事に応神天皇を出産したことから、夫婦愛や安産祈願の社として「愛つなぐ香椎宮」と親しまれます。
ご祭神:仲哀天応、神功皇后
配祀:応神天皇、住吉大神
桜門を撮ろうと思ったら、カメラが水族館設定のままで真っ白
よく見ると、鳥居の付近から参道が曲がっています。
これは、神聖な場所へ踏み込む境界線という説もあれば。
神の正中にあたらないようにという説。
又、非業の死を遂げた霊が外へ出ないために、と言う説もあります。
住吉大神の逆鱗に触れ亡くなった仲哀天皇は、どうでしょうか。
節分祭が近く、お多福通り抜けとなっていました。
小さい子供には怖いようで、ギャン泣きしていました。
マッチョが目を引く籠神社(このじんじゃ)型狛犬。阿形(あがた)。阿は始まりの意。
吽形(んがた・うんがた)。吽は終わりの意。2体揃って宇宙の理を説きます。
心落ち着く、拝殿。
江戸時代に再建されたご本殿は、重要文化財です。
「香椎造(かしいづくり)」と言い、屋根に特徴ある日本唯一の建築様式だそうです。
仲哀天皇の営んだ「橿日宮(訶志比宮)」の伝承地を物語ります。
目の前に立つと、神話とリアルが重なって不思議な気持ちになります。
ご神木「綾杉(あやすぎ)」。三韓征伐から戻った神功皇后が、自ら枝杉を植え国家安泰を祈ったと伝わります。
朱柵を飛び越えて、面白い枝ぶりが力強く広がります。
武内神社。もちろん宿禰さんも一緒。
何気なーい場所に建つ、武内宿禰の像を発見。
抱いているのは応神天皇でしょうか??
稲荷神社と、お隣は、全国でも珍しい鶏石(けいせき)神社。
保食大神(うけもちのかみ)をお祀りし、五穀豊穣、商売繁盛などの御神徳があるとされるお稲荷さん。
鶏石神社は、鶏の卵が孵化するように、形のないところから物事が成就する修理固成(しゅりこせい)の御神徳と。
夜鳴かない鶏から、子供の夜泣きにもご利益があると言われます。
御朱印には間に合う時間でした。良かった。
日も暮れかかり。
よく考えると、お昼ご飯も食べていなかったので。
地元の方が『何食べても美味しいよ』とおススメしてくれた町中華へ立ち寄りました。
本日貸し切り予約の張り紙があったにもかかわらず。
快く「どうぞ」と言って頂き、人気ナンバーワンのソフト皿うどんを頂きました。
昭和31年から続く宇宙軒。
油で揚げたバリバリ麺ではなく、こんがり焼いたもちもち麺にあんがたっぷり。
何から何まで良い一日だった。
帰ろう。そしてまた来よう
祖母の様子を見に行ってきました。
今年の7月の誕生日で100歳を迎えることをとても楽しみにしている祖母。
昨年の秋以来の帰省だったので、喜んでくれて。
それはそれはもう!マシンガントークでした。
「へー」「フーン」「そうだったんだ~」って、1000回くらい相槌打ってきました
人に話を聞いてもらうと、元気が出るのでしょうね。
あちこち痛いわって言いながら、これなら十分大丈夫そう。
今、実家の周りは日本水仙でいっぱいです。
潮風を好む日本水仙。
父が、両手に抱えるほどの水仙をお土産に持たせてくれたので。
家中の花瓶を引っ張り出して、全ての部屋に置きました。
暫くは、大好きな水仙の香りに包まれて、過ごせそうです。
一番好きな香り。蝋梅とほぼ同じ香りだと思うのですが。。。
そりでは
先日の、駆け足日帰り旅。
結びは仲哀天皇、神功皇后が祀られる、福岡市の香椎宮(かしいぐう)です。
写真を使って、長めにご紹介するので、お時間のある時にご覧ください
香椎宮は、海の中道マリンワールドから車で10分と少しでした。
これから香椎宮に行かれる予定のある方は、事前に社務所の開いている時間などをぜひ調べてから行ってください。
季節や曜日によって、細かく異なるようです。
今回到着したのは、午後4時。
武内宿禰さんの300歳余りの長寿を保ったと伝わる「不老水」は、3時には閉じられていました。
この不老水を飲めたら、あと250年は生きられたかもしれないのになぁ。。。
又、春には桜やつつじ、初夏には花菖蒲の名所にもなるそうです。
菖蒲池のマガモ。
香椎宮の見所は、境内の中だけではありません。
クスノキ並木の参道は、800メートルに及ぶ楠のトンネルです。
沿道のお洒落なパンやさん、カフェや雑貨やさんが馴染んでいます。
日が落ちて街灯に灯がともると、ノスタルジックな独特な雰囲気です。
このクスノキは大正時代に植えられ、再来年・2026年で100年になるそうです。
まるで森林浴しているような気分。
香椎宮の起源は。
西暦200年、熊襲征伐のため(または、国内外への外交発展のため)橿日宮(カシイノミヤ)を造営し、滞在していた仲哀天皇が崩御されました。
この時、神功皇后が、仲哀天皇の神霊を祀るために、この地に祠を建てたのが始まりと言います。
神楽でも舞われる通り。
その後神功皇后は仲哀天応の遺志を継ぎ、身重でありながら国内平定・三韓来航など数々の功績を残されました。
それから500年余りが経ち、神功皇后を祀る宮も、香椎の地に築かれました。
今ではご夫婦共に祀られていることや、三韓征伐後に無事に応神天皇を出産したことから、夫婦愛や安産祈願の社として「愛つなぐ香椎宮」と親しまれます。
ご祭神:仲哀天応、神功皇后
配祀:応神天皇、住吉大神
桜門を撮ろうと思ったら、カメラが水族館設定のままで真っ白
よく見ると、鳥居の付近から参道が曲がっています。
これは、神聖な場所へ踏み込む境界線という説もあれば。
神の正中にあたらないようにという説。
又、非業の死を遂げた霊が外へ出ないために、と言う説もあります。
住吉大神の逆鱗に触れ亡くなった仲哀天皇は、どうでしょうか。
節分祭が近く、お多福通り抜けとなっていました。
小さい子供には怖いようで、ギャン泣きしていました。
マッチョが目を引く籠神社(このじんじゃ)型狛犬。阿形(あがた)。阿は始まりの意。
吽形(んがた・うんがた)。吽は終わりの意。2体揃って宇宙の理を説きます。
心落ち着く、拝殿。
江戸時代に再建されたご本殿は、重要文化財です。
「香椎造(かしいづくり)」と言い、屋根に特徴ある日本唯一の建築様式だそうです。
仲哀天皇の営んだ「橿日宮(訶志比宮)」の伝承地を物語ります。
目の前に立つと、神話とリアルが重なって不思議な気持ちになります。
ご神木「綾杉(あやすぎ)」。三韓征伐から戻った神功皇后が、自ら枝杉を植え国家安泰を祈ったと伝わります。
朱柵を飛び越えて、面白い枝ぶりが力強く広がります。
武内神社。もちろん宿禰さんも一緒。
何気なーい場所に建つ、武内宿禰の像を発見。
抱いているのは応神天皇でしょうか??
稲荷神社と、お隣は、全国でも珍しい鶏石(けいせき)神社。
保食大神(うけもちのかみ)をお祀りし、五穀豊穣、商売繁盛などの御神徳があるとされるお稲荷さん。
鶏石神社は、鶏の卵が孵化するように、形のないところから物事が成就する修理固成(しゅりこせい)の御神徳と。
夜鳴かない鶏から、子供の夜泣きにもご利益があると言われます。
御朱印には間に合う時間でした。良かった。
日も暮れかかり。
よく考えると、お昼ご飯も食べていなかったので。
地元の方が『何食べても美味しいよ』とおススメしてくれた町中華へ立ち寄りました。
本日貸し切り予約の張り紙があったにもかかわらず。
快く「どうぞ」と言って頂き、人気ナンバーワンのソフト皿うどんを頂きました。
昭和31年から続く宇宙軒。
油で揚げたバリバリ麺ではなく、こんがり焼いたもちもち麺にあんがたっぷり。
何から何まで良い一日だった。
帰ろう。そしてまた来よう
2024,01,29 Mon 02:37
福岡インターから都市高速へ。
マンション、ビル群の景色も都会的でした。
お昼過ぎ、海の中道マリンワールドへ
今回の旅のメインは、防府天満宮と香椎宮だったのですが。
折角なのでと立ち寄った、福岡市東区の「海の中道海浜公園」。
キャンプ場をはじめとする自然体験、水族館、動物の森、アトラクション等々。
ここは!一日かけてゆっくり過ごしたかった~。
動物の森に行く時間が無くて、カピパラに会えなかったのが心残り。。。
しかしながらマリンワールドは、最高に楽しかったですよ。
また近々ぜひ行きたいと思っています。
写真でザザッとご紹介しますね。
建物自体が素晴らしい!
マリンワールドは、九州の海をテーマに玄海灘や博多湾、有明海など九州各地の海洋生物の展示が行われています。
まずは、夢中で眺めた外洋大水槽。
大きな鮫が沢山入っているのに、ダイバーの方が大丈夫なのかと心配しつつ。
いちにち、眺めていられる。。。
怖いから、こっち見んなっ
続いて、アシカ、イルカショー。
イルカの歌声は、高音で賑やかでした。
すっごい楽しかったですが、あんまり近くの席に座るとびっしょりになります。注意。
6頭による連続ジャンプは、超エキサイティング。
水から上がると、途端に目が死んだようになるイルカたち。。。
顔も個体によって大きく違います。
アシカの「ベー」。どうやって教えるのでしょう??
次から次に移動しなくちゃ~
でもスナメリの愛らしさには勝てん。
どうしても見たい、チンアナゴ。
ピースしてくるサガミモガ二。
スナメリは笑いながら近くに来てくれます。しかも、暫くそこに居てくれる。
こちらの子はおもちゃが大好き。スナメリも個体によって顔が違いますね。
でもって、最後に胸を貫かれた可愛らしさ、ラッコ水槽。
水槽の前には数人のラッコファンが、カメラを手に長時間待機されています。
気持ちが分かるわ~。
飼育員さんがどれだけ愛情込めてお世話されているかが伝わってくる、ラッコさんの表情でしたよ
繰り返し近くに来てくれます。好奇心旺盛なのかな。
イカ、うまっかなりの量を食べていました。
おなかいっぱいになったところで。
お口の中、こんなかんじでーす。
テレッ
飼育員さんに甘えます。飼育員さんの笑顔も素敵です。
何か持たされるとポージングしちゃうらしい。
心癒されまくりです。
ぜひ、行ってみてください
海の中道マリンワールド
https://marine-world.jp/
香椎宮へお急ぎなされ候。
2024,01,27 Sat 23:16
渡ってきました。
穏やかに晴れる日を待って、西へ
道真さんと仲哀天皇さんに会う、日帰り旅です。
7時過ぎに家を出て、9時過ぎに防府天満宮に到着。
近いですね!
真っ青な眩しい冬の空の下、所々紅白の梅が咲き始めていました。
「美しや紅の色なる梅の花 何呼が顔にもつけたくぞある」幼名・阿呼(あこ)。僅か5歳の道真さんが詠まれた歌です。
駐車場隣の広い梅園。これから素晴らしい季節を迎えますね。
防府天満宮は何十年かぶりの参拝。
子供の頃、町内会の旅行で来たなぁ。。。
境内のあちこちで、思い出の回収もしてきました。
清々しい境内。
天神さんのシンボルは梅と伏牛。
道真の亡骸を牛車で運ぶ途中、牛が伏せて動かくなり、人々は道真のメッセージと捉え、その場所(太宰府天満宮建立の地)に道真を祀ったという伝説から。
至る所に、施される梅。
よく見ると梅の下に鳩がいます。
境内に群れる鳩も大切にされています。
さて、全国およそ1万2千社に祀られる道真公。
ご存知のように、防府天満宮は、京都の北野天満宮・福岡の太宰府天満宮と並び、日本三大天神のひとつです。
参拝の前に、この謂れをおさえておきますと。。。
道真さんは、無実の罪で大宰府へと西下される際、周防国・国司の土師氏(はじうじ)を頼り、防府の勝間の浦に寄港されます。
「この地を離れるといよいよ九州だが、京の都と地続きの、この土地に留まりたい。」と無念を残し、大宰府へと向かわれたと言います。
そして大宰府の地でこの世を去った、丁度その日。
勝間の浦に神光と瑞雲(ずいうん・めでたいことが起きる前兆とされる五色の雲)が現われ。
人々は、道真公の魂がこの地に戻ってきたと悟り、社を建立したと伝わります。
道真さんの生まれ故郷にある北野天満宮は、道真さん没後、44年後創建。
終の棲家となった大宰府の太宰府天満宮は、没後16年後に創建。
そして防府天満宮の建立は、道真さんが薨御された翌年です。
よって、防府天満宮は“日本最初の天神さん”と呼ばれています。
道真さんは寒さ厳しい2月1日に、京の都を離れ。
船で淀川を下り、渡辺津(わたなべのつ・現在の大阪市中心部)で海船に乗りかえたとされますが。
その後も下船を繰り返し、各地で足跡を残しています。
今なら、本州と九州は繋がっているくらいの感覚ですが。
この時代、海を渡る九州は本当に遠かったのでしょう。
大宰府へ行きたくない気持ちが、汲み取れるような気がします。
左遷から2年後、2月25日に58歳(59歳とも残される)の若さで薨去。
病死説もありますが、死因ははっきりしていないそうです。
生活難に耐えかねた窮死だったのかもと想像しながら、道真さんを初めて一人の人間として思いを馳せ手を合わせました。
道真公のその怒りと遺憾は、神楽の中で語り継がれていきます。
春風楼(しゅんぷうろう)。
江戸時代、五重塔の建築に取り掛かるも財政難により中断。
その後2層の楼閣として完成。現在は防府の町を見渡せる展望台となっています。
眺めよく、気持ち良い。。けど寒いっ
鯛みくじ。鮮やかな赤鯛が釣れました
参拝の結びは御朱印。次はいつ来られるかな。
可愛いあの子たちに会いに行くぞ~
2024,01,27 Sat 21:39
寒いから早くお帰り。
THE 大寒ですね
昨日今日と、雪の降り方は如何でしょうか。
今朝は高速の事故で右往左往の影響を受けてしまいました。
自分が当事者にならないように、気を付けないといけません。
雪も凍結も、本当に怖い。
明日の朝も気を付けましょう。
明日(26日)の夜は今年初の満月です。
1月の月は、ウルフムーン。
厳しい冬に食べ物がなく、飢えたオオカミの遠吠えが響くことから名づけられたようです。
月に照らされた美しい雪の景色と、生き物にとって厳しい冬の対比が切ないです。
先日、ご縁を頂いたお祝いの会
新聞などでご存知の方も沢山いらっしゃると思いますが。
北広島町に日本刀鍛錬道場をお持ちの、三上貞直(さだなお)刀匠が「第80回中国新聞文化賞」を受賞されました。
祝賀会でご挨拶をされる、刀工 三上貞直さん。
この度の受賞をお祝いする会で、刀作りという世界を予習させてもらったのですが、難易度高すぎです。
長い時を経て磨かれてきた作刀の技術は、体感しない限りそうそう理解できるものではありませんね
今回は、炭と砂鉄を三日三晩燃やして作る「玉鋼」を初めて見ることができた!
もう、これだけで感動しました。
貴重な玉鋼。「たたら鋼」とも呼ばれるそうです。
又、三上さんのような方が身近にいらっしゃるということに幸せを感じました。
優しく気さくで、陽だまりのような方。
これからも作品と共に、その人柄にも多くの方が集われるでしょう。
改めて、中国新聞文化賞の受賞、おめでとうございます。
三上さんは現在、奥出雲の日刀保たたらに入り、今年のたたら製鉄を始めておられます。
作業の安全をお祈り致します。
古代よりこの地で、たたらが盛んであったことに思いを馳せ。
そして、もののけ姫の色んな場面も思い浮かんできます
ところで!
祝賀会の会場で、鋭い輝きを放つ一本の太刀。
三上さんと北広島町の安芸吉川会で取り組まれている、国宝「狐ヶ崎(きつねがさき)の太刀」写しの第一刀です。
人の命を奪う武器であったのかと、どこまでも奥深く引き込まれてしまいます。
正治2年(1200年)吉川氏2代目の友兼の武勇を伝える狐ヶ崎の太刀は、800年もの間、守り刀として受け継がれ。
鎌倉初期の作刀時の姿をそのまま伝える太刀として、国宝中の国宝と称される有名な刀だそうです。
岩国の吉川史料館が所蔵していますが、門外不出。
しかも滅多に公開されません。
吉川本拠地と伝わる、北広島町の歴史文化の発信と。
作刀の技術の保存と継承のため、六振りの写し作成が進められています。
日本刀を展示する美術館や観光地は、意外に多いですが。
鑑賞する気持ちが大きく変わりそうです
写し事業のHPを見つけましたので、ご参照までに~
https://aki-kikkawa.kitahiroshima.net/kifu.html
2024,01,25 Thu 23:35
日頃お世話になっている方に、バラを一輪サプライズ
紫色(写真では光ってピンクに見えますが紫なのです)のバラの花言葉は「信頼」や「尊敬」です。
この週末は島根三昧でした
コロナ禍前の年明けのイベントが、少しずつ形を変えながらも揃いました。
男子駅伝は、島根45位ということで。
若い新メンバーの経験年となった、今年のレース。
これから未知数ですから~
石川県チームへのエールは大きかったですね。
大地震の苦痛と避難生活。
練習どころではなかった日々から、出場への決心をされるまで様々な葛藤を想像しました。
来年、復興が進むニュースと共に、石川県チームが活躍されることを祈ります
本日は、小学校での野鳥講座・ファイナル
4日間に渡ってのプログラムも、今日の資料作りで終了です。
校舎の階段に張られている、格言が渋い。
これまで、先輩たちのサブとしてついてきましたが。
「今回は一人で一クラス担当して」と任されてしまって。
ひとり?!
何を聞かれるか分からないのに?!
コワイヨ(꒪⌑꒪.)!!!
なぜなら、前回先輩が受けていた質問が。
「どうして鳥は、高い空が飛べるのですか?」
むずかしっ
肺の機能とか?渡りの必要性とか?簡単には答えられんって
なので昨夜は、子供たちの質問を予想して遅くまで必死で勉強し直しました。
でもそのお陰で、新しい事も色々学べたし!アップデートできたような気がする。
結局。
4年生の子供たちは勉強熱心で、予習も復習もバッチリで心配するほどじゃなかったです。
さて、屋外野鳥観察で見た、およそ20種類の野鳥の中から一番好きな野鳥のイラストとその特徴をまとめる授業。
子供たちの人気の野鳥は、同率1位でこの子たち。
尾っぽフリフリ、キセキレイ
モデルのように木のてっぺんで動かなかったジョウビタキ。
カラフルな鳥が人気です。
今回、鳥に初めて興味を持ったという子がいて嬉しかったけど。
子供たちの研究の中にも、鳥の環境の変化が滲んでいました。
「間違いなく、鳥は少なくなっている」という話では。
鳥が生きられない地球で、人間が生きていけるのか?という話にもなりました。
環境が変わって、巣が作れなくなり、エサも無くなり。
声もなく静かに姿を消していく野鳥の現実は、未来を生きる子供たちには他人事ではないかもしれません。
いつまでも可愛い鳥たちが、当たり前のように傍で暮らしていける世界であって欲しいですが。。。
2024,01,23 Tue 00:23