私は今日はベランダ掃除を頑張って、ピッカピカ
もうヘトヘト、ギブアップです。
一度にすると大変だわ。
あっさり諦めて、ご馳走作りに精を出そうと思います

良縁を頂いて今週行ってきた、山陽小野田市の厚狭(あさ)のお話をしたいと思います。
遠出の楽しさいっぱいでした

ここからの景色が大好き。
山口南インターで降り小郡バイパスを抜けて、およそ2時間で到着する厚狭。
印象に残るのは、厚狭盆地一帯に広がる広大な水田地帯です。
豊かな厚狭川とその支流が、人々の営みを支えています。
偶然にもこの厚狭(あさ)は、戦時中、私の祖母が若い頃に祖父と暮らした土地。
当時、祖父は炭鉱の電気工として働いていました。
祖母の一番の思い出は。
空襲警報のサイレンが鳴ると、炭鉱の減光・遮光のため一目散に炭鉱へ向かう祖父の姿。
『皆(家族)を頼んだ!』と祖母に言い残し、炭鉱へと走る祖父。
そして真っ暗の中、6人の家族を連れて防空壕へ避難する祖母。
“もう会えないかもしれない”と、いつも胸が引き裂かれるような思いで避難したのだと折に触れ話してくれます。
今から70年以上も昔の話・・・
その厚狭の地は、当然ながら今は景色が変わっているので。
今回、祖母に見せるために、厚狭駅など沢山の写真を撮ってきました。
さて、この厚狭地区を歩くと。
あちらこちらに、寝太郎さんが現れます。
この厚狭は「民話・三年寝太郎」の発祥の地なのだそうです。

三年寝太郎はご存知だと思いますが。
話の内容を知る方は、少ないかもしれません。
私も今回初めて、三年寝太郎のストーリーを知りました。
~厚狭に伝わる、三年寝太郎のあらすじ~
三年三カ月寝てばかりの、ぐうたらな寝太郎がいました。
ある日寝太郎が起き上がり、庄屋の父親に、船と船一杯の新しい草履を作ってもらいます。
そして佐渡島へ渡ります(新潟の?遠くないですか?)
そして、ここで働く人たちの草履を、新品に交換して持ち帰ります。
実は寝太郎が持ち帰ったのは、佐渡金山で働く人々の草履。
草履を洗うと、砂金が沢山出てきました。
この砂金を資金とし、厚狭川を堰き止め用水路を整備し、湿地帯であった厚狭の土地を一大水田地として整えました。
寝太郎の活躍で、厚狭の地は豊かな繁栄を続けました。
ホ~(・Д・ )ヘ~
この民話、実話だそうで。
モデルは不明とされながらも。
一説によると、16世紀ごろに記録が残る、大内氏家臣の平賀清恒(ひらが きよつね)とも伝えられます。


荒れ地を水田に変え、厚狭を見事な水田地帯として反映させた寝太郎さんは。
今でも厚狭の人々の心に英雄として息づいています。
寝太郎神社、寝太郎祭り、寝太郎公園、寝太郎保育園、寝太郎かぼちゃ。。。。
民話は歴史や文化を伝え。
伝説は作り話・・・等と分けられますが。
寝太郎の地を歩きながら、斐伊川の治水に尽力したと伝わるスサノオさんと重なりました。
寝太郎さんも神楽になりそうですね(*^_^*)。

2025,12,30 Tue 18:18
